隼が巣立ちました

1999年以来13年間NAKAJIが乗っていたバイク、スズキのGSX-1300R Hayabusa。

私たち夫婦はあるバイクショップで2002年頃知り合いました。
当時NAKAJIは既にハヤブサに乗っており、HAYABUSA OWNERS CLUB(HOC)の代表をしていました。
私はバイクの免許を取って、カワサキバリオスというバイクに乗り始めた頃。
他にもたくさんのハヤブサ乗りさんと知り合い、20台を超すマスツーリングに出かけたり、数台でのツーリングに出かけたりするうちに、スーパースポーツとジャンル分けされた大型バイクのハヤブサと走る機会が非常に増えました。
しかし250ccに乗る初心者の私は、速く走らなければ、うまく乗らなければいけないのでは?とプレッシャーを感じて萎縮し、バイクに乗っても楽しくなくなっていきました。


そんな中で自分のペースで気負わず走ること、バイクの楽しさを教えてくれたのがNAKAJI。
その後出会いから1年以上経過した後に、二人だけで走りに行くようになりました。
高速道路では私が前を走ってNAKAJIが後ろ。
私の走りやすいスピードで走り、休憩したいタイミングで休めるようにとの配慮からです。
遅い車を追い越したくて車線変更しようと私がウィンカーを出すと、さっと後ろのNAKAJIが先に車線を変えて私が落ち着いて入れるスペースを確保してくれ、高速を降りるインターが近づくとブ〜ンと私を追い越して今度は先導してくれました。
道に不慣れな一般道や峠道ではNAKAJIが前を走ってくれ、私は安心して後ろをついて行くことができました。
NAKAJIの後ろを走りながら、この大きな車体を華麗に操るNAKAJIの背中を眺めるのが大好きでした。
バイクに乗って初めての場所へ行き、景色を眺め、美味しいものを食べ、温泉に入り・・・。
いつしか知らぬ間に肩の力を抜いて楽しく乗れるようになってきました。


バイクの走り方が人生の歩みと重なり、あるツーリング先でプロポーズされ、その後自然な流れで私たちは結婚。
智ちゃんを授かりました。
しかし子どもができると私はバイクに乗る時間がなくなり、やがてバリオスを手放しました。


NAKAJIには私からバイクに乗らないでと言ったことは一度もありませんが、「バイクだとのんのや智ちゃんが一緒に出かけられないから」と、NAKAJIは家族と一緒に過ごす時間を自ら非常に優先してくれました。
そして昨年からNAKAJIは仙台に単身赴任。
ますますバイクに乗る時間はなくなり、車検が切れ、バッテリーが上がり、ハヤブサはカバーを被ったまま。
1ヶ月くらい前にNAKAJIから、ハヤブサを手放そうと思うと告げられました。
私に話す前、かなり長く悩んで考えた上での結論なんだと思います。


今日、NAKAJIのハヤブサは新しい乗り手さんを探して、私たちの元から巣立っていきました。
最後に家族で記念撮影。
智ちゃんはシートに座ってようやくハンドルに手が届くまでに大きくなってきていました。
引き上げに来たバイクショップの店員さん、電話で話した店長さんは、とっても綺麗な車両だと何度も褒めてくれました。
オールペンしてもらった大谷鈑装さんのおかげです。


たくさんの思い出がありすぎて、ドナドナされていくハヤブサの姿は、泣きそうで最後まで見つめていられませんでした。
ハヤブサがなければ私たちは出会っていなかっただろうし、ハヤブサを通してたくさんの方と知り合え、貴重な時間を過ごせました。
福島の全国ミーティング、岐阜の中部ミーティング、高崎の達磨寺ツーリング、もて耐のお手伝い、塩原のキャンプツーリングetc.


ハヤブサ
今までどうもありがとう。
最後は全然かまってやれなくなってごめんね。
新しいオーナーさんに大切にしてもらってね。


ハヤブサを通して出会った皆さん
今まで大変お世話になりました。
NAKAJIばかりか私をも仲間に入れてくれ、支えていただいてありがとうございます。
できればこれからも変わらずに、どうぞよろしくお願いします。


>NAKAJI
HOCの管理運営、大変おつかれさまでした。
忙しい時間を割いてイベントを企画したり、自腹を切ったり、関係各所と連携したり、サイトの管理や更新、旅行中でもアクセスしてメンテナンスしたりと、楽しいことばかりではなく様々な苦労をしていた姿も見ていたので、サイトが閉鎖する寂しさとともに、「長い間本当におつかれさまでした」と私はNAKAJIが解放されて少しホッとする気もします。
NAKAJIのアイデンティティとでもいうような存在だったハヤブサ
私より長いつきあいの大事なバイクを、維持し続けていけなくてごめんなさい。
でもまたいつか、一緒にバイクに乗りましょう。必ずね。